会社沿革

1950 年代

1955年 9月
大阪市西淀川区で軽量シャッターの販売を目的として、資本金500,000円により創業
1956年 1月
東京支店を開設
1957年 4月
大阪市西淀川区に大阪工場を開設、軽量シャッターの製造開始

1960 年代

1960年 5月
名古屋支店を開設
1964年 4月
忠岡工場の新設、重量シャッターの製造開始
1966年 7月
大阪支店を開設
1967年 7月
土浦工場新設、軽量・重量シャッターの製造開始
1968年 1月
大阪市東区谷町(現・大阪市中央区谷町)に本社移転

1970 年代

1971年 10月
京都支店を開設
1972年 10月
大阪市東区両替町(現・大阪市中央区常盤町)に本社移転
1973年 10月
東京本社を東京都中央区に開設し、ニ本社体制となる
1975年 7月
無人制御システムシャッター『リフレオート』を開発、発売
1975年 10月
大阪証券取引所市場第ニ部に株式上場
1975年 12月
奈良工場を新設し、大阪工場・忠岡工場を集約
1977年 4月
横浜支店を開設
1979年 4月
東京本社を東京都中央区から東京都港区に移転、東北支店(現・仙台営業所)、西部支店(現・中四国支店)を開設

1980 年代

1987年 10月
(株)日本シャッター製作所と合併
九州支店、鹿児島支店(現・鹿児島営業所)、枚方工場、九州工場、(株)南日本シャッター製作所(現・連結子会社南東洋シヤッター(株))を継承
1989年 2月
東京証券取引所市場第ニ部に株式上場
1989年 4月
神戸支店(現・神戸営業所)を開設
1989年 9月
東京証券取引所および大阪証券取引所の市場第一部に指定替え

1990 年代

1990年 11月
奈良工場第ニ期増築完成
1991年 4月
鹿児島工場新築完成
1991年 10月
(株)オーシマと合併、建材部門の拡充を図る
1992年 4月
岩住サッシ(株)と合併、スチールドア部門の拡充を図る
1993年 3月
つくば工場を新設し、土浦工場を閉鎖する
1993年 9月
ビル改修システム『ビルファイン』を開発、発売東洋シヤッター北海道株式会社へ49%出資し、関係会社とする
1993年 11月
大阪市中央区南新町に本社を新築移転
1994年 6月
東洋テクノサービス株式会社に100%出資し、関係会社とする
1995年 10月
24時間緊急修理受付オールラウンド・メンテナンス(ARM)スタート
1995年 12月
奈良工場第三期増築完成
1996年 4月
東洋テクノサービス株式会社を株式会社シーク研究所に社名変更
1998年 1月
関西メンテサービス支店を開設

2000 年代

2000年 1月
東京本社を東京都港区から東京都中央区に移転
2000年 5月
枚方工場を閉鎖し、奈良工場に集約 九州工場を南東洋シヤッター株式会社所在地に集約移転
2002年 5月
「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」の成立
2002年12月
連結子会社である東洋シヤッター北海道株式会社・株式会社シーク研究所を解散
2003年 4月
フジテック株式会社とエレベーター『遮煙乗場扉』を共同開発、発売
2003年 7月
大阪市中央区南船場に本社移転
2003年12月
自主的新中期経営4ヵ年計画『フェニックス-50』の策定
2004年 1月
シャッター落下防止装置「守護神」を開発、発売
2006年 2月
「私的整理に関するガイドライン」に基づく「再建計画」及び自主的新中期経営4ヵ年計画『フェニックス-50』を前倒しで終結し、新中期3ヵ年計画『レボリューション3』を策定
2009年 2月
新中期3ヵ年計画『Fusion Plan 3』を策定

2010 年代

2011年 2月
ハーマンKG(ドイツ)と資本業務提携
2011年 3月
ハーマンGmbHを割当先とする第三者割当増資を実施、資本金2,024百万円となる
2012年 5月
新中期3ヵ年計画『JUMP UP 3』を策定
2015年 5月
新中期3ヵ年計画『POWER UP 3』を策定
2018年 5月
新中期3ヵ年計画『BRUSH UP 3』を策定

2020 年代

2021年 3月
中期経営計画『BRUSH UP 3+1(プラスワン)』を策定
2022年 4月
東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東京証券取引所の市場第一部からスタンダード市場に移行
2022年 5月
新中期3ヵ年計画『TOYO REBORN 3』を策定 防火防音換気扉「TSベンチタイト」を開発、発売
2024年5月
『資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について』を策定